育児は「育自」でもある。親になって思うこと

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妊娠して出産をするプロセスで「親」になる心の準備はできていたはずなのに、いざ産まれたらいきなり「親」になれるわけではなかった。子供の頃に思っていた「親」、親になってから思う「親」について考えました。

 

「人の親として」の親は菩薩レベル

よく「人の親として〜」って自分も含めた誰かがどこかの「親」を批評したりするけど、「人の親として」求められているスキルが高い。エベレスト級でした。こんなことを言ったら、親なんだからそんなのできて当たり前だろ!って前だったら思っていたところですが、理想とする「親」の像ってもはや菩薩レベルでした。

でも、20数年しか生きていない人間が子供が産まれたからって、いきなり菩薩になれるわけがなかったんですよね…。下手したら死ぬまで無理かも!

 

そもそも「親として」ってなんだ

そんなの当たり前だろと思っていた「親として」ということって、極端に言うと、例えば赤信号を渡らないということもそうですし、歯磨きをしたのに寝る前に物を食べることまで、この世の中にある大なり小なりのルールが全て「正」で行動しなければならないということなんだと思いました。

でも、赤信号を1回も渡ったことありませんという人はなかなかいないし、歯磨きをしたのに寝る前に物を食べちゃうこともあるかもしれない。私はあります…!

 

親は「児」を「育」てる

辞書によると「育」の意味は、”そだてる” ”養う” ”しつける”という意味です。つまり、育児とは子供をしつけなけらばならないんです。そして、「しつけ」の意味は、”礼儀・作法を教え込むこと”という意味です。

よく自分ができていないのに人にその行動を求める人いますが、そんな人に言われてもやりたくない!ってなりますよね。だから、親になるということは子供が産まれたその日から、親としてそれまで意識なく破っていたルールを「正」に行動することが始まるということ。

しかし、もう何年も無意識に習慣化されている行動を改めるのは結構難しいですよね…。

 

親もひとりの人間

ちょっと反省をしつつ、私は子供の頃よく親に対して「親なのに」って思うことがありました。反抗期は特にそれが強かったかもしれません。「親になったら親の気持ちがわかるよ」という言葉が大嫌いでしたが、親になる少しくらい前から薄々それは気付き始めてました。

子供の頃、30歳ってとても大人だと思っていました。もうすぐなろうとしている今、精神年齢が18歳の頃からあまり変わっていない気がする…。というのが現実です。そもそも大体それくらいの年齢には人格だったり、ある程度の価値観は形成されているんですよね。その後は社会に出て、いかに自分をしつけ、己の人間力を高めていくことができるか。意識を高く持つことは誰でもできるけど、完璧に行動できる人はなかなかいません。

親になった今は、「親」に求められているスキルが、菩薩レベルでエベレスト級の高さだったんだなと実感中です。

 

育児をしていると、それまでの自分を改めさせられる場面が多々ある

人をしつけるほど品行方正な行動がとれています!って「言える」けど、なんかモヤモヤするのはできていない証拠です。実際できていませんしね…今も寝る前にチーズケーキを食べようとしているので、これもいずれ「寝る前に甘い物食べちゃダメでしょ!」って言う日が来るまでにやめなきゃなと思っています…。

 

まとめ

子供を育てるのと同時に、ああ、子供が自立するまで親も育児を通して、子供に対してお手本となれるような人間になるべく育てられるのかなと、親になった今ぼちぼち育児は「育自」でもあると本当の自覚をしてきているところです。

 

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